感謝をして変化した事【歩く体や道に感謝】ゴミ拾いが世界を救う!

朝の活動はゴミ拾いと泣くこと


そのゴミを捨てた人がいる、だけど見捨てる事は当たり前なのか?


 私は、だいたいの出勤する日を
 徒歩か自転車で通勤しています。

 その中で必ずお世話になる所があります。
 それは、『道』です。

 この『道』には、色々な出会いがあります。
 
 例えば、通勤するサラリーマンの方々
 通学する学生たち、バスを待っているお祖母ちゃん
 
 それらは気持ちを豊かにし、自然を感じ
 幸福な気分にさせてくれます。

 しかし、そうではない出会いもあります。

 それは、ゴミ(たばこの吸い殻)との出会いです
 
 私も、ポイ捨てをしたことがある側の人間です。
 しかし、今は絶対にしません。
 
 それは、私のルールだから。
 そのルールに従って生きているから
 
 けれど、一定数は捨てる側の存在がいます。
 ゴミと出会った際には、とても悲しくなります。

 最近は、徒歩で通勤する機会が多いので、
 たくさんのゴミたちと出会う事ができます。

 私は、それを拾う時もあれば
 拾えないときもあります。
 ↑まだまだマインドが低い証拠です…。

 しかし、職場の商店街だけは
 必ず拾っています。
 それはどんな時でも見つけたら必ず…。


ボランティア, 手, 自主的です, ラップ, 保護, 維持, ストレッチ

なぜゴミを拾うのか


 答えは単純です。
 ゴミを拾うのに『理由』なんかありますか?
 というより、必要ですか?
 落ちていれば拾うまで

 あえて、答えるとするならば
 歩かせてもらっている『道』に感謝をしているから。

 この道は、人工的なものであり、
 私たちが知らない昔に、監獄に収容された人々が造った道だったりします。
 その中では、様々な苦労があり
 命のリスクを伴う過酷な労働であったことも知っています。

 そのすべての背景や人に感謝する事が
 道への感謝に繋がっているのではないかと
 考えてみるとそう思います。

 私は、今日拾えなかったゴミたちに
 謝りながら通勤しました。
 「拾えなくてごめんね」
 「道さん、綺麗にできなくてごめんね」
 そう感じている間に、ポロポロと涙がでてきていました。

 国道沿いを泣きながら髭のはやしたおっさんが歩いているんですよ?
 子どもたちは不思議そうに私の方を見ながら歩いていました(笑)


終わりに・・・。


 『感謝』をベースに生きると決めて
 毎日に感謝をしていると、気付くことがあります。
 私は、色々な支えによって『生かされている』ということ。

 行動しか変化を生み出せないこと。
 だから行動してください。
 ゴミ拾いを皆さんで行いましょう!
 募金より、1つのゴミを拾うことから
 その行動が世界を救います。

⇒新しいことにチャレンジする!それが心を豊かにする。

⇒『落ちている葉っぱ』とはどのような味なのか?


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