子育てに通ずる、『感謝』の教え

神ほど醜いものはない。
今回のテーマは『神』
私は、仕事のある日の毎朝
神社へ参拝に行く。
神社に通うようになってから、
日々考え続けてきたことに答えがでた。
それは、形のないもの=『神』という事と
それに感謝できる心のゆとりとは
である。
どういう意味か?
人は、形のあるものに感謝し生きている。
『神』という形のない(想像上)ものみ祈りをささげる意味は
形のないものすべてに感謝し、生きるという誓い(自分との対話)である。
と結論づけた。

今日、ホームレスのおじさんと神主さんの討論をみた。
人間は不思議なものだ。
神社の中で、大きく響く怒鳴り声。(ホームレスの方)
それに、冷静な声で対応している風の神主さん。(発言内容は感情論)
この神聖な場所で、よく恥じらいもなく、大きな声を出して
中身のない討論をするもんだ。
それは、まさに子どもの口喧嘩。
しかし、それすらも美しいと思えたのは私だけだろうか?
その2人のおかげで、私は生きている実感を得る。
大きな怒鳴り声の中にも偉大な自然の中で生きている自分や他者を
感じることができる。
心地悪いなんて思わなかった。
きっとあの2人も、自分の存在を確かめるために話あっていたのかもしれない。
(子どもの頃のように素直な気持ちで)

感謝とは心の開放。挨拶もまた同じ
『感謝』 『挨拶』
この本当の行い方を教えられている人は
どのくらいいるのだろうか?
教えることが出来る人=実際に行っている者である。
私は、この本当の意味を最近知った。
※↑日々『感謝』とは何かを考え、実践しているからこそたどり着く極地
心の開放
これが根源である。
『挨拶』を1日何回行っているだろうか?
『挨拶』しないさい!
『感謝』しなさい!
と言って躾ける親はたくさんいる。
実際に見せているのだろうか?
最後に・・・。
人間は、答えのない遠い未来を想像する事で、
ネガティブに支配されずに、ポジティブに生きることができると言われています。
これは、大学の研究で調査されているのでエビデンスは高いです。
遠い未来で一番簡単なのは『死』です。
『死』について考える事が習慣化されている人は、
うつ病など、ネガティブに支配される病になるリスクは少ないのです。
どのような『死』が訪れるのか?
その後は、どうなるのか?
スピリチュアルな世界観ですが、
実はスピリチュアルも科学で証明される時代になってきています。
皆さんも是非、考えてみてはいかがでしょうか?
※↑倫理を学び、倫理に生きる。
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