【心と身体の育み】~みんなちがってみんないい~

ソファに1年までの男の子と女の子のおもちゃ。家族の双子の概念。

心と身体の育み

みなさんは、「私と小鳥と鈴と」という詩をご存じでしょうか?

 「 私と小鳥と鈴と 」
              金子みすゞ

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面を速くは走れない。
   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに
   たくさんな唄は知らないよ。
   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

金子みすゞさんの詩で有名です。
なかでも、『みんなちがってみんないい』
この言葉は、僕が中学生の頃に授業で聞いた詩で
今でも鮮明にその当時の事を覚えています。


当時は、この言葉に強烈な
インスパイアがあったのを印象深く覚えています。

当時の僕は(今でもそうですが) 『他人と同じ』というのが
とにかく嫌でした。
理由は当時だとそんなに根拠もなかったのですが
今はしっかりとした根拠があります。
『他人と同じ事をしても、自分の夢が叶わない』
からです。

僕は、中学生の時から『個性』といものに『憧れ』を感じていました。
それはきっと、『平凡』から抜け出したいという『成長』の一つだった
と思っています。

その頃は、僕はバスケットボール部に入部していました。
中学になって、小学生の頃に入部していなかった、
新しい『仲間』も入部してきました。

それだけでも、新しい事にワクワク・ドキドキしていました。
小学校から中学校という環境の変化だけでも
心臓が破裂するくらい、毎日がドキドキでした。

しかし
人間は恐ろしい事に『慣れ』というものがやってきます。
現状に満足できず、新しい『何か』を求めて
大切な『足元』が見えなくなってきたのです

当時の僕には、特に『目的』もないまま
他人とは違う何かを追い求めていました。

しかし、当時の僕は
『目的』を見失っていた為に、
別の道へと進んでしまったのです。

アパートメントのリビングルーム、広々としたカフェテリア、レストラン、ホテル、またはオフィスホール、ラウンジエリア3 d現実的なベクトルモックアップ、快適な椅子、広々としたインテリアイラストのコーヒーテーブルの上のエレガントな花瓶


間違えた『個性』の捉え方


【思春期】
~個性と心と虚栄心~

『個性』という魔法の言葉に
僕は、憑りつかれていたかのように
みんなと違う事を行うようになっていった。

それは、あの金子みすゞさんの詩にあった
『みんなちがってみんないい』というニュアンスを
別の意味で解釈していた自分がいた。

当時の僕の『個性』とは
今でいう『非行』そのものだった。

熱中していた部活も次第に休むようになっていった

勉強をするわけでもなく、
悪さをする『仲間』と共に
万引きや、イタズラをするようになった。

それは、『個性』よりも
『人間』として誰かに見てもらいたい
という気持ちが大きかったのかもしれない。

いつからか
『みんなちがってみんないい』から
かなり小さい人間になっていった。

今の僕が、当時の『僕』に出会えたとしたら
『君は君でいいんだよ』と常に認めていただろう

そうすることで
僕は、自分の道をよく考え
選択できていたのかもしれない

彼女の足の女性スリーピング


家族とのすれ違い


僕の家族構成は、僕と母の2人

父親は僕が小さい時に離婚で別の道に行っている

母と過ごす時間はかなり少なかった。
僕は、次第に『寂しさ』を覚えていった

当時の僕は、母にすごく甘えたかったんだと思う
子どもだったから、
母が仕事をして、僕に食事を提供してくれて、生活の世話までしてくれたこと
『愛』を感じる事が難しかったのかもしれない

やはり、『ぎゅうっと抱きしめて欲しかった』
『愛してるよ』って言って欲しかった。

それくらい、時間を共有する事が難しかったんだと思う。

だけど、それは
僕が母の事を知らなかったということでもある

子どもながらに
親という1人の人間を
『承認』できなかったということである


夕暮れ時の川の土手でワインのグラスを楽しむ若い女性。ドリンクを飲みながら風景を眺める女性


本当の心と身体の育みとは


今回は僕のストーリーを少し紹介している
もちろん実話だ。

最後に
僕が感じている『本当の心と身体の育み』について
お話したいと思う。

結論から言うと
『育み』とは『愛』である


『育み』と『愛』 ← について


しかし、『愛』は一方的では伝わらない
『共有』しなくては意味がない

その土台となるのが
『承認』である。

言葉にすると
「愛しているよ」
「生まれてきてくれてありがとう」
「一緒にいてくれてありがとう」
という『感謝』の言葉になる。

僕は、当時の事を思い出すと
母に感謝の気持ちしか生まれない

当時の僕がなぜ
母の愛に気付けなかったのか
それは、別の話になるのでまた次回となりますが…

みなさんに伝えたい事は1つ

『認める勇気』は『愛』となり共有される

これだけは、常に感じていてください。


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それでは!!!!また!